子どもの居場所として必要なのは「家族っぽい大人」
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シェアハウス生活を始めて
「この暮らし、いいなあ」
と感じることが多いのですが、
なかでも 子育て環境の充実には
目を見張るものがあります。
今日は、
核家族化が進むなかで課題に感じる
親以外に
「信頼できる大人」を見つける、
ということについて。
※私の住んでいる
シェアハウスのIKI(いき)については
過去の記事をご覧ください。
心を閉ざしてから大人を信頼するのはとても難しい
先日、うつ状態の私を心配して
不登校時代からお世話になっている
当時 適応指導教室の
先生だったみなさんが
泊まりがけで会いに来てくださいました。
当時 教室へ
一緒に通っていた親友も誘ったところ
二つ返事で「行く」。
福岡から帰って来て
そのまま食事会に合流してくれ、
シェアハウスにも
泊まって行ってくれました。
参加してみたら
病状のことなど真面目なことは
ほとんど聞かれず
(日ごろ相談しているせいもある)、
酔っ払った 50代男性の恩師からは
「みさっち!
お前は、俺の娘じゃあ!!!」
と繰り返し言われ
「はいはい、わかったけん」
と何度も返事する。
めんどくさいけど
嬉しくて こそばゆいやり取りです。
中学入学と同時に
習い事などの課外活動を
やめてしまっていたので、
中学校へ行かなくなった私に
関わってくれる大人は
母親と先生くらいでした。
当時は 母親も先生にも
心の中に大きな壁を隔てていて
「大人は嫌い」状態になっていきます。
不登校になって1年半ほど経って
2年生の冬に
担任の先生から紹介された
適応指導教室は、
市が運営する 学校へ通えるように
フォローしていく教育機関でした。
でも、ここで出会った大人はみんな
無理に
学校へ行かせようとはしなかったし、
私のことを「みさっち」と呼んで
家族のように接してくださいました。
この対応が、当時
家にも学校にも居場所の無かった
生きていることへの
罪悪感でいっぱいの私にとって
大きな支えとなったことは
言うまでもありません。
今 振り返って感じるのは
不登校になった当初から
親や先生以外に 複数の
「信頼できる大人」がいてくれたら
とても心強かっただろうなあ、
ということ。
一度心を閉ざしてしまうと、
誰に対しても 心を開くのに
とても時間がかかるのです。
「成長だよなぁ…」感慨深げな まさしさん
IKIで一緒に住んでいる子どもが
トイレに行くとき、決まって
「だれかきて〜!」と叫びます。
お尻を拭いてもらうのは、
一緒に生活している大人なら
誰だっていいんです。
この 大人に対する寛容さが
自然と身についているのがすごい。
核家族化する以前の家庭であれば、
その役割は 一緒に暮らす
おじいちゃんやおばあちゃん、
おじさんやおばさんなどが
担っていたのかもしれません。
でも 現代でそれは難しい。
だったら、
単位が小さくなった家族を
小さいまま くっつけてしまう。
これでもいいと思うんです。
先日、
IKIのシャイガール・ゆっきーが
「みさとちゃんとねたい」
と言ってくれ、たっちゃんと一緒に
私の部屋へ泊まりに来てくれました。
「深夜、ママのことが恋しくて
泣き出しちゃうんじゃないかな…」
なんて心配していたのですが
それは杞憂に終わり、
普段はご機嫌斜めの朝も
ニコニコしてお目覚め。
「おはよー!」
どうしちゃったの ゆっきー!
朝 父親のまさしさんが
「ママと一緒に寝ないなんて、
これまでは
とても考えられなかった。
成長だよなぁ…」
と感慨深げにおっしゃっていたのが
印象に残りました。
「家族っぽい大人」をいかに増やせるか
親や先生以外に
信頼できる大人がいる、という経験は
子どもにとって大きな意味を持ちます。
「家族っぽい大人」をいかに増やすか。
シェアハウスでの生活も
その答えの1つです。