選挙の話は、苦手だった。週末の参議院選挙を前に「知識をひけらかし 相手を言い負かすための議論」はもうやめないか
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期日前投票、行った?
小・中学校からの友人と
久しぶりに再会して
10年ぶりに
3人が集まった瞬間の
最初の会話が、これでした。
友人2人とも 意思を持って
期日前投票を済ませており、
そのことを聞いた私は
安心感と誇らしさの
混ざった気持ちを抱えて
私もしてきたよ
と何気なく答えます。
しかし それに続く
じゃあ、
どこに入れた?
という質問には
ぎくり、と
居心地の悪い
嫌な感じがしました。
出会い頭に始まった
政治の話でしたが、
その後
どんどんヒートアップ。
2人の友人が
真っ向から
熱い議論を交わす中、
私は 先ほど感じた
居心地の悪さの正体について
ぐるぐると考え始めます。
すると 政治の話が苦手なのは
- むやみに喧嘩したくないから。
- 矛盾したことや曖昧なことを言って揚げ足を取られ、自分の無知を晒したくないから。
ではないか、
という仮説にたどり着きました。
政治の話をするとき、必ずしも 相手に勝とうとする必要はあるのか
まず
むやみに喧嘩したくないから。
という理由について考えるとき、
根底に
「政治の話は
議論から始まるけれども、
結果 お互いが感情的になって
喧嘩になってしまうもの」
という認識があることに気付きました。
もちろん、
議会においては最終的に
その法案を可決するか否か
ある種の「勝ち負け」は
必要になってきます。
けれど
それを国民レベル、
友だちレベルで個人的に話す際
必ずしも
相手に勝とうとする姿勢は
かえって
邪魔になるのではないかと感じます。
相手より
優位な位置に立とうとするあまり
議論は次第に感情論になり、
「AはBなのだからZである」
というような
飛躍した言い合いになりがちです。
ここで本来必要なのは、
「どうするのが
もっとも住みやすい国を作るのか」
という観点であり、
より良い着地点を見つけること。
相手に勝つことではありません。
でも 政治の話をしようとするとき、
「喧嘩するんだろうな…」と
覚悟をしている段階で、すでに
建設的な議論ではなく
感情論で
相手を攻撃しようとしている
自分の無意識に
気づく必要があります。
身近な話題から政策の話に入っていってもいいはずなのに
そして 2つ目の
矛盾したことや曖昧なことを言って
揚げ足を取られ、
自分の無知を晒したくないから。
という理由に関しては、政治を
「勉強している者だけが
語ることのできる、特別な話題」と
認識してしまっていたことが問題。
政治の話をするとき、
必ずと言っていいほど
「教える者」と「教わる者」の
構造が生じます。
より政治を勉強していて
弁が立ち、
相手への説明能力の高い者だけが
とうとうと語っている図式です。
本来であれば、政治の話であっても
感覚的な生きにくさやつらさ、
抽象的な不安についての
個人的な意見を打ち明けてもいいはず。
むしろ、そうした
国民の生活不安を解消するために
政治は機能しています。
しかし、
誰しもが感じることのできる
生活への違和感や不満を
政治の話の中で表現するのは
難しい印象があります。
ここには、前述した
「相手に勝とうとする心理」や
「政治はみんなのものだから、
構造的な話はしてもいいけど
個人的な話は控えるべき」
という意識が深く関係している。
議論をしていても
結局 感情論になることは
よくあるにも関わらず、
何気ない感情の話からスタートして
建設的な議論をしよう、
という発想には
なかなか到りません。
政治のことは よく知らないから…
生活に困っているのは
我が家の問題だから…
政治の話は どこか遠くの
博学な方々のみ口にすべき話題で、
不勉強な自分なんかが
軽々しく口にしてはいけない。
間違ったことを言ってはいけない。
言い負かされたくない。
そして
恥をかきたくない。
こうした思いが、どれほど
参政への意識を
削いでいるのかと思うと
ぞっとします。
まとめ:この参院選で「政治を話してもいい」雰囲気が広がってほしい
「知識をひけらかし、
相手を言い負かすための議論」に
なんの意味があるのか、
私にはよくわかりません。
今回 友人と話していて
「自分の生きにくさは
現行の制度によって
起こっているものなのかも」
と考えるようになってから、
積極的に政治を
勉強するようになったんだよね。
という言葉が印象に残りました。
身の回りで起きている問題を
国の制度のせいにできるのは、
政治を自分ごととして
捉えられているということ。
自分自身の
頑張りによって解決できる問題は
その限りではないかもしれませんが、
政治はもっと身近な存在として
捉えられる話題なのだなと感じました。
まず、一度
- むやみに喧嘩したくない。
- 矛盾したことや曖昧なことを言って揚げ足を取られ、自分の無知を晒したくない。
という
政治の話題に対する
素直な気持ちに意識を向け、
その上で
寛容な姿勢で意見を聞き、
自分ごととして
政策について話せるけるようになりたい。
きっと
「知識をひけらかし、
相手を言い負かすための議論」、
「勝ち負けのある内容」であることが
政治の本質ではないはずです。