お風呂がめんどくさいのは、悪?うつ病の価値観を変えてくれたのは憧れの人からの強い共感
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こんにちは!
似顔絵うつブロガーのみさとです。
先日 こんなツイートをしたら、
ありがたいことに
反響をいただきました。
トップの写真は
5日以上お風呂に入っていない状態で
撮影されたものです。
頭は痒いし
髪はギトギトを通り越してカチカチ。
元々 潔癖症だったこともあり
不快感MAXなのですが、
それでも身体を起こすことがやっとで
入浴する気力など
持ち合わせていませんでした。
そんなときは、
お風呂に入れない自分を責め
後ろめたさを感じることが多かったのですが、
「なーんだ!私はもう3日目よ!」が
度々 脳裏に浮かび、救ってくれました。
価値観や認知を
大きく変えてくれた言葉だったんです。
そこで今回は この言葉が
なぜそんなにも嬉しかったのか、
解説してみたいと思います。
なぜ「私はもう3日目よ!」が嬉しかったのか
お風呂に入らないことは、悪、だった
幼少期に
潔癖症だった私からすると、
毎日お風呂に入ることや
帰ったら手を洗うことは
守らなければ叱られること、
つまり
守るのが当然のことでした。
だから
どんなにお医者さまから
お風呂に入らなくても大丈夫だよ
入浴していなくたって、
外出してもいいんだよ
と言われようと、
全然心に響きません。
お風呂に入れていない時点で
世間様に
自分をさらすのは失礼だから
入浴しないと外出はできない、と
本気で考えていました。
すっぴんでは
出掛けられるのにね。
私個人が
においに敏感な部分もあるため、
ほかの方から「くさい」と
思われることを
極度に
恐怖していたところもあります。
お風呂に入らないことは、
幼い頃から刷り込まれた
悪でした。
憧れのお姉さんたちが、お風呂に入っていない?「悪いことじゃなかったのかも…?」
イベント会場で
冒頭の言葉をかけてくださったのは、
公私ともに憧れる
知人のお姉さんたちでした。
うつで
お風呂に入れない日があるんです…
なーんだ!私はもう3日目よ!
〇〇ちゃんもそのくらいでしょう?
うん、3日目〜。
明日はお風呂入るよ。
ほらね!
1日くらい 入らなくても大丈夫だよ!
耳を疑いました。
これまで お医者さまに
言われていたことと同じなのに
まったく わけが違います。
そのお姉さん方は
とにかく輝いていらっしゃって、
普段から
「どうやったら
こんな風になれるのだろう…」
と考えるほどの存在でした。
今後 30代、40代と
年齢を重ねていくのが
楽しみになってきたのも、
彼女たちのような存在のおかげです。
そんな方々が揃って
私よりもお風呂に入っていない。
そのことに
大きな衝撃を受けました。
これまで信じてきた
悪は、実は
悪ではなかったのかもしれない。
そう考え始めました。
その言葉が嬉しかったのは、共感してくれたうえに 私の認知を変えてくれたから
ツイートに反響をいただいてから
「なぜ この言葉が嬉しかったのだろう」
と考えてみました。
結論として
①憧れの女性が、心から共感してくれたから
②悪だと思い込んでいたものに疑問を持たせてくれた=認知を変えてくれたから
の2点かなと思います。
①憧れの女性が、心から共感してくれたから
複数のお医者さまが
ずっと同義の言葉を
かけてくださっていましたが、
心には 響きませんでした。
今回の言葉との大きな違いは
・専門家としての立場なのか、憧れの女性なのか
・アドバイスなのか、共感なのか
です。
まず、お医者さまは
専門家として
至極 真っ当なことをおっしゃいます。
「毎日 外に出ましょう」
「生活リズムを正しましょう」
「お風呂には入らなくてもいいですよ」
でも 現実は
なかなか思うようにはいきませんし、
医師もそれをわかっていらっしゃいます。
治療を進めていく上での
理想をアドバイスしてくださっているのです。
ですが、今回の言葉は
・精神疾患を抱えていない
・公私ともに憧れる女性が
・現在進行形の実体験として
語ってくださいました。
これは、アドバイスではなく
とても強力な共感だったんです。
②悪だと思い込んでいたものに疑問を持たせてくれた=認知を変えてくれたから
さらに、
強力な共感は
価値観や認知にも
大きな影響を与えました。
今まで悪だと思い込んでいたものを
一度 疑ってみる、ということに
繋がったんです。
すると この言葉は
単なる共感の言葉ではなくなり、
入浴に対する
善悪の認知を変えてくれた
重要な言葉になりました。
まとめ
入浴しないのは悪だ、
と強く思い込んでいた私でしたが、
最近では
お風呂に入れない日も
自分を責めることは
少なくなってきました。
・共感
・認知を変える
これは カウンセラーなど
専門家のお仕事だと思っていましたが、
憧れる方からの言葉は
それ以上の力を
発揮することもあるのだと実感しました。
フォロワーが100名ほどの私に
これだけ反響をいただけた
ということは、
多くの方に共感していただけた
言葉だったということ。
私自身も
・どんな存在として
・どんな言葉をかけるのか
を意識していきたいものです。